英文解剖学

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A if not Bがなぜ「A、ひょっとするとB」の意味になるのか。

(2022年3月6日 追記)

 

if notはまるでand やbutのような等位接続詞のように同じレベルの単語(同じ品詞など)を繋げるために使われることがあります。

A if not Bといった場合、何らかの基準でAよりもBの方が程度が高いのが基本です。

実は、ifは単独で"Even if"の意味になることがあり、等位接続詞的な用法でも同様の機能を果たしていると考えられます。すると以下の引用で言う"but not"の用法(「譲歩型」「Bとは言わないまでもA」)は理解できますが、"maybe even"(「伸展型」「A、ひょっとするとB」)の用法が説明できず、丸暗記する方も多いようです。

北村一真先生の「英文解体新書」でも詳しく説明されているのですが、「与えられた英文の"if not"を"but not"と解するとなぜ不都合があるのか、なぜ"maybe even"と解釈した方がよいのか」と言う説明に留まっています。

 

私はこの違いがなぜ生まれるのかについて過去に考えたことがありますが、思いつきレベルなのでブログ記事にはしていませんでした。たまたま上記英文解体新書の解説について質問されたため、いい機会なので"if not"の仕組みを説明するアイデアを紹介します。仮にこじつけでも暗記の助けくらいにはなるでしょう。

 

Here’s a “maybe even” example from the Dec. 8, 1996, issue of the Dallas Morning News: “The greater Phoenix area is one of the fastest—if not the fastest—growth areas for call centers nationwide.” (Aside: We would have written, “The greater Phoenix area is one of the fastest growth areas for call centers nationwide—if not the fastest.”)

 

And here’s a “but not” example from the April 12, 1996, issue of the Los Angeles Times: “She gave proficient, if not profound, readings.”

The Grammarphobia Blog: If not, why not?

 

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◾️擬似等位接続詞

擬似等位接続詞という概念があります。

元々は挿入や前置詞・従位接続詞を用いた表現が、いつの間にか同じレベルの単語(名詞句と名詞句、形容詞句と形容詞句など)を繋ぐために使われるようになり、まるでand やbutと同じような使い方をされるようになる現象を指します。Randolph Quirkの用語で、私もQuirk et al. A Comprehensive Grammer of the English Language(以下CGEL)でこの概念を知りました。

 

例えば、"as well as"は元々「副詞+副詞+接続詞」からなる表現なので、一種の挿入表現として(6)のように使用されるべきです。The teacher, as well as the students, was tired と考えると、主語がThe teacherになるので、単数系主語に呼応して"was"が使われることになります。

しかし、徐々に"as well as"が andのように同じレベルの単語を繋ぐ役割をするようになると、以下(4)のような英文も容認されるようになってきます。ここでは"England as well as Scotland"がまるで"England and Scotland"のように複数主語として扱われ、"are"が使用されています。

(5) He bought the piano as well as his friend did the previous week

(6) The teacher as well as the students was tired

On the Grammaticalization of as well as in the History of English

Miriam Criado-Peña

 上記引用元の論文は、"as well as"の擬似等位接続詞用法が普及していった過程を歴史を辿りながら解説しています。

 

残念ながらCGELではifが擬似等位接続詞として紹介されていませんでしたが、ifも擬似等位接続詞として捉えてもよいと考えています。

 

まずX is [an A if B Noun]は、しばしばX is [an A, if B, Noun]
と書かれることから、一種の挿入から生まれた表現だと考えます。

譲歩のif はしばしばEven ifと書き換えることができるので、Even ifの譲歩節に置き換えてみましょう。

 

 ◾️Even thoughとEven if

Even though SV(直接法)の場合、SVは事実であったり既に起きたことを表して「たとえ、SVだとしても」
という意味を表すことが多いですね。
一方、Even if SVの場合は、

1 despite the possibility that; no matter whether.

"always try everything even if it turns out to be a dud"

 

   1.1 despite the fact that.

"he's a good person, even if he has a troubled past"

https://www.lexico.com/en/definition/even_if

 

SVが確立した事実でないが、あくまでも可能性に過ぎないとき
1. 「ひょっとしたらSVかもしれないけれども・・・」(despite the possibility that; no matter whether.)

という意味で使うことができますし、

 

SVが仮に事実である可能性や実現する可能性が高いとき
2. 「SVは事実かもしれないが、それでも・・・」(=despite the fact that)

 

という意味で使うこともできます。上記辞書で"despite the fact that"の用法が"despite the possibility that"の一部とされていることからもわかるように、これは一方が譲歩で一方が譲歩ではないということではなく、SVの内容に対する話者の態度や確信度の違いによって結果的に生まれた違いであると思われます。

 

◾️A if not B

A if not Bについて考えてみます。(前提として何らかの基準でAとBの程度の差はA<Bとする)
if (not B)の部分は
前節の1. 風に解釈すると、

「(not Bである可能性が低い~中程度) もしかするとnot Bかもしれないけれども・・・A」
→「Bの可能性は十分にある(低くない)が、仮にnot Bだったとしても少なくともA」

→「少なくともAだが、Bもありうる」(「伸展型」"maybe even"型)


前節の2. 風に解釈すると、

「(not Bである可能性が高いとき) たとえnot Bではあっても・・・A」
→「Bとまでは言えないがA」(「譲歩型」"but not"型)

 

いかがでしょうか。

日本人にとっては"but not"型の用法の方がしっくり来ますが、初めに引用したGrammarphobia blogでも紹介されているように"maybe even"の方がより一般的だとする見解もあるようです。また、AとBが比較しにくい場合には"but not"の解釈が好まれるようです。

 

(2022年3月6日追記)

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(記事の見出し)UK says conflict could last years

 

A day earlier, Ukraine's deputy prime minister said Russia violated a temporary cease-fire agreement in the cities of Mariupol and Volnovakha and evacuations were canceled. Also Sunday, U.K. Deputy Prime Minister Dominic Raab said that the war in Ukraine could last "months, if not years."

Ukraine city Mariupol says cease-fire for civilian evacuation planned for today

 

 

イギリスの副首相が、「ウクライナにおいてプーチン大統領を挫折させるという使命を達成するためには一定の時間がかかる」と説明している場面です。「戦略的な持久力を見せなければならない」と述べた後で、"we’re talking about months, if not years"とどの程度のスパンを想定しているのか付け加えています。

 

○副首相が、「数年はかかるとは考えていない」(=if節内の内容"not years"はほぼ確実)であれば、"despite the fact that it will not takes years"

「年単位の時間はかからないだろうが、それでも月単位の時間はかかる」という趣旨になります。(譲歩型 "but not"型)

(仮訳)「年単位ではなくとも月単位の話です」

 

○副首相が、「長期間かかるだろう、年単位でかかることもあり得る」と考えているのであれば、"despite the possibility that it will take years"

「(数年かからなかったとしたら) 月単位の時間はかかるだろうし、場合によっては年単位の時間がかかることもあり得る」(進展型・"maybe even"型)

という意味になります。

(仮訳)「少なくとも月単位の話ですが、場合によっては年単位ということもあるでしょう。

 

引用記事は副大統領の発言を、「数年かかることもあり得る」という可能性を示唆した表現(進展型・"maybe even"型)だと捉えているようです。続く発言を見てもわかるように、「日単位で決着がつくことはない」ことを強調するための発言ということがわかります。

 

「譲歩型」のように「数年とは言わないまでも数ヶ月かかる」と捉えても日本語としてそこまで外れているとは思いませんが、少なくともこの"if not"をbut not"とは言い換えられないでしょう。

 

 

 

用例の紹介という意味では岡崎修平先生による以下の動画も参考にしてください。

 

youtu.be

 

この記事で指摘したいのは、岡田先生は便宜上「進展型」「譲歩型」と名づけていますが、これらの用法は「if notには譲歩の用法と譲歩ではない(進展型の)用法がある」とまとめてはいけないということです。説明というよりも、単に"if not"に二つの異なる意味が「熟語」として存在するということを個別に丸暗記するだけになってしまいます。

どちらも"譲歩の(even) if"の用法から派生しているのであって、意味の違いは「ifの後に続く内容についてどの程度現実的だと考えているか」によって派生するに過ぎないということです。この仮説が誤っていた(こじつけであった)としても、関連づけることで覚えやすくなると思います。

 

◾️おまけ

 

ちなみにbecauseも擬似等位接続詞として使われることがあります。以下の「アッシャー家の崩壊」"that half-pleasurable, because poetic, sentiment"half-pleasurable とpoeticがbecause によって繋げられており、"that ... sentiment"を修飾しています。ここで面白いのは、becauseが単に二つの形容詞を繋げているだけでなく", poetic, "が挿入となっていることからも窺えるようにpoetic「だから」half-pleasurableだという接続詞becauseの意味合いが残っていることです。

 

 

DURING the whole of a dull, dark, and soundless day in the autumn of the year, when the clouds hung oppressively low in the heavens, I had been passing alone, on horseback, through a singularly dreary tract of country, and at length found myself, as the shades of the evening drew on, within view of the melancholy House of Usher. I know not how it was—but, with the first glimpse of the building, a sense of insufferable gloom pervaded my spirit. I say insufferable; for the feeling was unrelieved by any of that half-pleasurable, because poetic, sentiment, with which the mind usually receives even the sternest natural images of the desolate or terrible.

THE FALL OF THE HOUSE OF USHER EDGAR ALLAN POE