英文解剖学

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いわゆるクジラ構文・"no more than"構文について、平沢(2014)への補足

(2022年1月15日 全面的に書き直しました。)

(2023年9月24日 用例4と用例5を追加)

 

以下、特に引用元論文がないロジック・用例はtmneverdiesが自ら考案・採取したものです。ただし一部先行研究と重複しているものは言及しています。

 

今回のテーマはいわゆるクジラ構文・"no more than"構文です。

 

◾️主張①

"A is more X than B is"という構文は、AのXである程度が、Bよりも高いことを意味する。

 

 "Tom is taller than John."とすると、TomはJohnよりも「ある程度(>0 cm)」背が高いということになります。tallerの直前にmuchや5cm など、どのくらい高いのかという程度の差を表す具体的な表現を置くことができます。

平沢(2014)では、この差に該当する表現を置くことのできる場所を、比較の程度の差を表す表現を置くことができる「差分スロット」と呼んでいます。

 

注意していただきたいのは、後述する「ゼロの差」を表す"no"や"(not) any"、「マイナスの差」を表す"less"がくる場合を除い比較級の前に来る「差」は「正の差」だということです。"Tom is taller than John."のような文でも、実際には発音されませんが意味的には「正の差(下の例では"some"と表記)」が隠れていると考えることができます。

”Tom is (some) taller than John"→“Tom is much/5cm taller than John"

 

◾️主張②

"A is no[=not any] more X than B is"という構文は、「AのXである程度が、Bよりもある程度だけ高いという(正の)差」を否定する表現である。

 

noは否定語のnotと数量や程度を表すanyに分解することができます。

そこで、主張①で比較級の前に隠れていると仮定した"some(>0)"の代わりにno[not any]を仮定すると、anyが表す差が否定されてゼロになります。 ここで注意したいのが、否定されているanyというのは「AのXである程度が、Bよりも一定程度"some(>0)"だけ高いという差」だということです。 

 

私の考えでは、"A is not more X than B"のnotはあくまでも「A is more X than B」、数式に例えると"A>B"と言う関係を(文)否定しているのであり、"A≦B"という関係を表しているだけです。したがって、AとBの程度が「同程度だ」ということを強調する場合ではなく、「Aの程度がB以下だ」と示したい時に使われることが多いと思います。

 

一方、"A is no more X than B"の場合、no=not+anyですから、noが否定しているのは「AがBよりもXである程度」です。

A is no more expensive than Bという文の場合、「AとBの価格の差」が否定されるわけですから、「AとBの価格は同程度だ」というニュアンスを持つことはみやすいと思います。

しかし、ここで注意が必要なのは、あくまでも否定されているのは「AはBよりも〇〇円(> 0円)だけ値段が高い」という差です。つまり、ここで否定されているのは「AはBよりも、何円(>0円)高いのか」という程度(any)であって、「AがBよりもマイナス100円高い(=AがBよりも100円安い)」場合は否定されていません。

 

 

文法的には、上で説明した通り、"A is no more X than B"は「AがBよりも『一定の差(正の量・程度)』だけXである程度が高いというその「差」がゼロであるということを否定しているのに過ぎません。

では、「その『(正の)差がゼロ』である場合には、文脈的・意味的にはどういう可能性があるのだろうか」ということによって解釈のパターンが分かれます。

 

◾️主張③

"A is no more X than B"について、「AがBよりも『Xである程度』が高い」ことを否定するには、文脈により「Aの『Xである程度』がせいぜいBと同程度(程度が高い方(A)を引き下げて低い方(B)の基準に合わせる)」、 「Bの『Xである程度』が実はAと同じくらい高い(程度が低い方(B)を引き上げて高い方(A)の基準に合わせる」という二つの方法がある。

 

ここは本多(2017)の記述がわかりやすいです。

"Tom is no taller than John."を例に考えてみましょう。

 

○引き下げ法(Bが基準)

「Aの『Xである程度』がせいぜいBと同程度(程度が高い方(A)を引き下げて低い方(B)に合わせる)」

"Tom is no taller than John."

後半のJohnの背の高さを基準にしています。noがなければ「TomはJohnよりいくらか(some>0だけ)身長が高い」となるところですが、no[=not any]のせいでTomの身長は(引き下げられて)せいぜいJohnと同じくらいの身長だったという意味になります。

Johnが身長160cmの時、"Tom is no taller than John."は方法1. の解釈で「Tomはせいぜい160cmくらいの背の高さしかない」という意味になります。

 I recently saw a video of TV journalists and politicians confidently saying that the coronavirus would be no worse than the flu.

Paul Graham

Corona Virus and Credibility

上の英文は、前半のコロナウイルスの悪さはせいぜいインフルエンザ 程度だという主張です。後半部分の"the flu"は「badとかけ離れた例」ではありません。したがって、典型的なクジラ構文のように、「前半(コロナウイルスと後半(インフルエンザ)が共に『badではない』」という意味にはなりません。実際は、コロナウイルスはせいぜいインフルエンザと同じ程度の悪さだ。」という意味になります。

 

○引き上げ法(Aが基準)

「Bの『Xである程度』が実はAと同じくらい高い(程度が低い方(B)を引き上げて高い方(A)の基準に合わせる」

前半のTomの背の高さを基準にしています。noがなければ、「TomはJohnよりいくらか(>0だけ)身長が高い」、つまり「JohnはTomよりいくらか背が低い」となるところですが、no[=not any]のおかげで、Johnの身長は(引き上げられて)Tomに負けないくらい背が高いという意味になります。

例えば、Tomが明らかに背が高い(200cm)とすると、"Tom is no taller than John."は、Tomは身長200cmで背が高いけれども、Johnも負けないくらい背が高いという意味になります。

 

以下は最近の用例です。

It’s perfectly logical to call for the immediate impeachment and removal of President Donald Trump for inciting a mob to storm the U.S. Capitol and interrupt the process of declaring Joe Biden president. Attempting to interfere with the democratic process counts as a high crime and misdemeanor under the Constitution.

But I would like to remind us all that the time to remove Trump was a year ago, when he actually was impeached — precisely for attempting to corrupt the 2020 election. What Trump did on January 6, 2021, was no more impeachable than what he did on July 25, 2019, when he phoned Ukraine’s Volodymyr Zelensky and asked him to discredit Biden.

Noah Feldman  

I Testified at Trump's Last Impeachment. Impeach Him Again.

2021年の大統領選挙後のCapitol Hill襲撃を煽動したトランプに対して弾劾を求めるのは論理的だと述べた上で、2019年の選挙前の不正も負けないくらいimpeachable だと述べています。

 

◾️主張④

特に「引き下げ法」について、Bが「到底Xとは言えない極端な例」の時、「Aの「Xである程度』をBまで引き下げる」ということはAも「(Bと同様)到底Xとは言えない」ということになる。これがいわゆる「クジラ構文」の意味である。

 

主張③の「引き下げ法」で使用した例を考えてみます。

Johnが明らかにtallとは言えない(例えば100cm)の時、"Tom is no taller than John."は方法1. (Aの程度を引き下げる)の解釈では「TomはせいぜいJohnと同じ(100cm)くらいの背の高さしかない」という意味になります。つまり、Tomはせいぜい「明らかにtallではないJohn」と同じくらいtallだ、つまりTomはJohnと同様に明らかにtallではないという意味になります。

 

A is no more X than B is"は、「到底Xとは言えない極端な例」を後半のBに持ってくることで、前半のAはせいぜいBと同じレベル、つまり結果的に到底Xとは言えないという表現になります。

 

「no more 形容詞」構文のメカニズムは(前半の程度を後半のレベルまで引き下げるパターンの場合)「形容詞の程度について、前半部分が後半部分よりも優っていることはなく、前半部分はせいぜい後半部分と同程度なのだ」というものです。これは比較の問題です。しかし、後半部分が「形容詞からかけ離れている場合」には修辞技法の問題としていわゆるクジラ構文と同様に「前半も後半も『形容詞』とは言えない」という意味になります。

 

"In movies, extraterrestrials often communicate with us in colloquial English. But a real message from space is likely to be no more understandable than a digital TV signal would be to Guglielmo Marconi," Seth Shostak, an astronomer at the SETI Institute, wrote in an op-ed in NBC News. "An alien transmission is unlikely to be a Trojan horse — but it would at least tell us that there's someone outside the gates."

India Ashok

Can Earth be hacked by aliens? Scientists say messages from space could destroy life as we know it

 上記引用文は、「宇宙人からのメッセージを受け取ったとして、そのメッセージを地球人が解読することができるのか?」という疑問に対する返答です。主張③の方法1. (Aの程度を引き下げる)に基づいて理解すると、2文目前半の"a real message from space"のunderstandableな程度は、せいぜい後半の"a digital TV signal"が"Guglielmo Marconi"(無線電信の発明者)にとってunderstandableな程度だよ」という意味になります。無線電信の発明者がもしデジタルTVの信号を受け取ったとしても到底理解できないでしょうから、2文目後半は「understandableとはかけ離れた例」になります。

2文目の意味は「無線電信の発明者にとって、デジタルTVの信号の中身が理解できないのと同様に、宇宙人からのメッセージは地球人にとって理解し難いものになるだろう。」となります。2文目後半が「understandableとかけ離れた例」であるが故に、2文目前半も「せいぜい後半と同じくらいunderstandable」、つまり「understandableとかけ離れた例」になってしまうのです。

 

(念のため、最後の文は「たとえメッセージの中身が理解できなかったとしても、少なくとも宇宙人からの信号は『地球外に誰かが存在すること』を教えてくれるだろう」という意味になります。)

 

ここで典型的なクジラ構文(命題比較)についても言及しておきます。

これはまさしく、柏野(2012)や平沢(2014)のように、命題同士の蓋然性を比較していると考えると上記の説明に落とし込むことができます。

具体的には、"A whale is no more a fish than a horse is"を

命題1. "A whale is a fish"と命題2, "A horse is (a fish)"の蓋然性の比較と考えます。

noがなければ、moreによって命題1.の蓋然性の方が命題2.より高いということになりますが、この蓋然性の差が(主張③の引き下げ法に準じて)命題2.と同じレベルに引き下げられます。

言い換えると、命題2.が正しい蓋然性は、せいぜい命題1. と同レベルだということになります。この命題同士を比較するタイプでは、後半の命題2. が「到底正しいとは言えない極端な例」であることが多いとされます。その結果、命題1.が正しい蓋然性はせいぜい命題2.と同レベル、つまりどちらも到底正しいとは言えないという意味になります。

例文に戻ると、命題1. 「クジラが魚である」は、命題2. 「馬が魚である」というのとせいぜい同じくらい正しい、つまり命題1.は命題2.と同じくらいデタラメだという意味になります。

ところが、命題2. が「到底Xとは言えない極端な例」とは言えない場合、つまり「命題1.の蓋然性はせいぜい命題2.と同じくらいだ」(蓋然性に差がない)という用例も発見されています。詳しくは後述の北村一真先生の論文をご参照ください。

 

◾️主張⑤

"A is no more X than B"では、主張③④のように"A=B"を強調する場合が多いが、「AがBよりも程度が高いという『正の差』」が否定されているだけであって、"A<B"の可能性は残る。したがって、"A is no[=not any] more X than B is"は「"A=B"を強調するために使われることが多いが、潜在的に”A<B"の可能性を含む、"A≦B"を表す構文」である。

 

主張②で展開した説明の繰り返しになっています。

 

□用例1

He returned swift and silent out of the shadow and stood close to the helm, eyes level with Ben's; no taller than Ben. Not even as tall, perhaps.

 Wilderness of Spring  Edgar Pangborn

 ここでは、"no taller"の後に、"not even as tall(目の高さはHe<Ben), perhaps"が続きます。

"no taller"が「きっかり=」ではなく、現実的にはある程度幅があるから「≒」になっており、多少のずれ(<であれ、>であれ)は許容されるため、"not even as tall"(<)が後続してもよいと考える方もいるかもしれません。

そう考えたい気持ちはわかりますが、では">"(例えばeven taller, perhaps)が続いてもよいのでしょうか?

この文脈に限らず、"no more X"の後に"<"が来るのはまだしも、">"が来るのは不自然な場合が多いと思われます。 

 

□用例2

主張③で引用した記事では、"What Trump did on January 6, 2021, was no more impeachable than what he did on July 25, 2019, when he phoned Ukraine’s Volodymyr Zelensky and asked him to discredit Biden"の後に、"Which distortion of democracy is worse?"と続き、、「民主主義を歪めたという意味でどちらがより悪いか」を問うています。すると一見、ネガティブな評価"impeachable"に関して、"no more impeachable"は"≒"であって厳密には">"も"<"もありうるように思われますが、さらにこう続きます。

Which distortion of democracy is worse? Trying to steal an election secretly, in advance, or publicly inciting the interruption of a largely ceremonial process after the fact? The former could have changed the outcome of the 2020 vote. The latter had essentially zero chance of blocking Biden’s ascent.

結局、「民主主義にとっての"悪さ"」という意味では明らかに"<"だということです。もちろん、厳密にはimpeachable"と基準が異なりますがニュアンスは伝わったのではないでしょうか。

 

□用例3

I also enjoyed Marc David Baer’s The Ottomans: Khans, Caesars and Caliphs (Basic). This is both provocative and lurid: Baer balances the stories of stranglings and beheadings with an argument that the Ottomans were no worse, and arguably more tolerant, than their western European contemporaries, until a tunnel-visioned focus on Islamic orthodoxy got the better of them.

Books of the year - Engelsberg Ideas - Engelsberg Ideas

"the Ottomans were no worse, and arguably more tolerant, than their western European contemporaries"

この部分で著者は、「Ottomansは同時代の欧州人と比べて、『よりひどいということはなかった』」と述べていますが、"arguably more tolerant"から分かるように、Ottomansの方がマシだったという可能性を残した表現になっています。

 

(2023/9/24 用例4と用例5を追加)

用例4

 

"I got no more than I get for other jobs, in fact less than my last job. "

前半で「他の仕事より多くの給料を貰ったわけではないが」と述べていますが、後半からわかるように他の仕事の給料以下であるという可能性を残しています。

 

用例5

 

But the question still remains whether Heidegger’s thought and politics are intrinsically linked, or whether, as his apologists would have it, his thought is no more (and in fact, less) related to his politics than it is to his interest in soccer and skiing.

 

Understanding Heidegger on Technology Mark Blitz

 

www.thenewatlantis.com

 

 

"his thought is no more (and in fact, less) related to his politics than it is to his interest in soccer and skiing"

than以下の内容(サッカーやスキー)は、いかにもハイデッガーの思想と関係無さそうです。主張④で説明した解釈をとって、「ハイデッガーの思想は、彼のサッカーやスキーへの関心同様に、彼の政治とは無関係だ」と訳してもよいようにみえます。

しかし、"in fact, less"の部分から分かる様に、「ハイデッガーのサッカーやスキーへの関心の方が、彼の政治よりも彼の思想に関係が深い」という可能性を残しています。

くどくどしく書くと、「ハイデッガーの思想が彼の政治に関連している程度は、彼の思想がサッカーやスキーへの関心と関連している程度より高いということは決してない」ということになります。

 

まとめると、"A is no more X than B is"という構文では、"no more X"という部分で"A>B"の可能性は否定されていますが、"A<B"の可能性は明示的に否定されていません。そのため、"A is more X than B is"で"A>B"となる(正の)差を否定している関係上、通常"A=B"を強調する構文であるとはいえ、潜在的に"A<B"であるという可能性は残ります。

 

したがって、以下のように言えるのです。

 

>実は"A>B"を生み出す正の差someが否定されているだけであって、"A<B"については明確に否定されていない。したがって、"A is no[=not any] more X than B is"は「"A=B"を強調するために使われることが多いが、潜在的に”A<B"の可能性を含む、"A≦B"を表す構文」である。

 

これは、"as X as"構文が通常同等性を伝える際に使われるにもかかわらず、「実際は"A>B"だった」可能性も含む、"A≧B" 「Aは少なくともB以上にXである」を表す表現だということとにているかもしれません。

 

Tom is as tall as John.

1. 「Tomの身長=Johnの身長」はOK

2.  「Tomの身長>Johnの身長」はOK

"In fact, Tom is 2cm taller than John."

3. 「Tomの身長<Johnの身長」は通常ダメ

"In fact, Tom is 2cm shorter than John"

 

◾️主張⑥

Collins (2016)で示されているように、"A is not more X than B is"は"A is more X than B is"を否定する「文否定」であるが、"A is no[=not any] more X than B is"での否定辞は"A>B"という差(some/any)を否定している。しかし両者の真理条件は同じである(主張⑤によって裏付けられる)。

 

難しければここは飛ばしても問題ありません。

Collins (2016) 4. Predicate Adjective を参照ください。一応一部引用します。

(16)b I am not taller than John is. のLF表示が(18)となり、

(18) I am not [[-er than John is]2 [t2 tall]] の真理条件が

(19) ¬[max(λd.I am d-tall) > max(λd.John is d-tall)]
‘It is not the case that my height is greater than John’s height.’ となります。

(16)c I am no taller than John is. のLF表示は(21)となり、(18)と等価です。

(21) [[NEG <some>] <degree>]1 [ t1 [-erdiff than John is]]2 [I am [t2 tall]] ‘There is no degree d such that my height surpasses John’s height by d.’ ‘There is no degree d such that I am d-taller than John is.’
‘My height is less than or equal to John’s height.’

あくまでも、Collins等の否定に関する理論に基づいての議論です。

"not more than"と"no more than"は異なるニュアンスで使用されることが多いので、一見"not more than"と"no more than"が同じ真理条件を持つという説明は、いくら自然言語形式言語で表すことに限界があると言っても奇妙に映ります。

しかし、主張⑤の結論「"A is no[=not any] more X than B is"は『"A=B"を強調するために使われることが多いが、潜在的に”A<B"の可能性を含む、"A≦B"を表す構文』である」を考慮すると理解できるのではないでしょうか。

 

◾️主張⑦

主張⑤・⑥から、"no more than 500 words"が「たった500語」ではなく「500語以下」という意味を表すことがあるというような現象を、いわゆる"A is no more X than B is"という構文と統一的に説明することができる。

 

"(A is) not more than 500 words "の場合、notは「A>500単語」という関係を否定している訳ですから、数学の場合と同様に「A≦500単語」という意味になります。

"no more than 500 words"について考えてみましょう。「主張③ (引き下げ法)」に準じて考えると「Aは500語より1語でも多い」という「(正の)差」が否定されることになります。

「"500語より多い字数(more than 500 words)と思ったら実際は500語程度だった(前半の程度を下げる)」→「たった500語」という解釈ができます。

 

ここで、主張⑤に準じて考えると、「Aは500語より1語でも多い」という「(正の)差」が否定されるということは、「"500語より多い字数(more than 500 words)」である可能性を否定しているだけで、500語ぴったりの場合だけでなく、499語や498語の場合もあり得るということになります。つまり、「500語を越えるわけではない」→「500語以下」という"not more than 500 words"と同様の解釈も可能です。

 

 ◾️主張⑧

”A is less X than B"の場合、lessは例外的に「マイナスの差」を表すと考えることができる。「AのXである程度が、Bよりも「マイナスの差だけ高い(=Aの方がBよりも程度が低い)」ということになる。"A is no less X than B"はこの「マイナスの差」を否定する表現である。

 

「"A no more/less X than B"構文では、noが差を否定している」と説明すると、どちらも「A=B」という意味で違いがないように思われます。

もしも、"A is no more X than B"の場合は「プラスの差」が否定されると考えれば、「AはBより程度が高いと思うかもしれないが、せいぜいBと同程度だ(引き下げ法)」「BはAより程度が低いと思うかもしれないが、実はAと同じくらいの程度はある(引き上げ法)」と説明できます。

"no less X than"の場合は「マイナスの差」が否定されると考えれば、文脈上は「AはBより程度が低いと思うかもしれないが、実はBと同程度だ」という意味になり、"A is no more X than B"との違いがあることが分かります。

 

These observations lead me to think , that a journey through this province might prove at least no less interesting than our journey through Yemen .

 

 
A general collection of the best and most interesting voyages and travels in all parts of the world by John Pinkerton

「"this province"の旅行はYemen旅行より面白くないと思うかもしれないが、実は少なくとも同じくらい面白い」ことになるかもしれないと思ったという解釈ができます。

 

*理論上は、「BはAよりも程度が高いと思うかもしれないが、せいぜいA程度でしかない」という解釈もできそうですが、実例を見たことはありません。

*理論上は、「BはAよりも程度が高いと思うかもしれないが、せいぜいA程度でしかない」という解釈もできそうですが、実例を見たことはありません。

 

◾️主張⑨

主張⑧を踏まえ、主張⑤に準じて考えると、"A is no[=not any] less X than B is"は「"A=B"を強調するために使われることが多いが、潜在的に”A>B"の可能性を含む、"A≧B"を表す構文」となる。

 

用例を引用しておきます。

Perhaps Dobyns's most vehement critic is David Henige, a bibliographer of Africana at the University of Wisconsin, whose Numbers From Nowhere (1998) is a landmark in the literature of demographic fulmination. "Suspect in 1966, it is no less suspect nowadays," Henige wrote of Dobyns's work. "If anything, it is worse."

 1941 Charles C Mann 

 

◾️主張⑩

主張⑥からは"A is no[=not any] more X than B is"は文否定ではなく「構成素否定(A>Bの差some/anyの否定)」と言えそうだが、一部文否定と類似した性質を持っている。

 

安藤先生は"Tom is no taller than John"のような文を、no[=not any]は構成素否定として、"no taller than"を"exactly as tall as"と説明する立場をとっています。おそらくこの記述にはなんらかの文献的な根拠はあるのでしょうが、昔から違和感がありました。

例えば文否定のテストとして安藤先生もJackendoff testを紹介しています。これは否定語のある文を"It is not so that ..."と言い換えられれば文否定になるというものです。

具体的には、以下の言い換えができることを根拠に、not (taller)は文否定だと説明しています。

He is not taller than she is.
It is not so that he is taller than she is.

これに対し、no tallerは上記のような言い換えができないというのが構成素否定としての根拠でした。しかし私は前々から疑問に思っていたのですが、
He is no[=not any] taller than she is.
It is not so that he is any taller than she is.
上記の言い換えも問題なくできるはずです。ネイティブに見せてみても、言い換えは可能との返事でした。ひょっとすると細かい用法によって言い換えの可能性が出てくる可能性もありますが、Jackendoff testは通ってしまう可能性が高いと思っています。

文献によると文否定のテストと言っても完璧ではないことが多く、しばしば例外があるようですが、上記のことから安藤先生が考えるような単純な文否定とは異なると思っています。

以下3種類、文否定のテストであるKlimaのtestに該当する英文です。

(1) either test
"It is no longer than a modernday motorcycle, and no taller either. Pippo climbs into the cabin and slams the door, causing the boot to spring open"

Head Over Heel: Seduced by Southern Italy
著者: Chris Harrison

To be sure , the south is more beautiful , but not all that much ahead . And with you in your natural wasteland it is no more beautiful either .

Hegel, the Letters
Georg Wilhelm Friedrich Hegel
Indiana University Press, 1984

 

(2) tag question
"She is no taller than he is, is she (not)?
is she?という肯定の付加疑問文をつけることができる
(ただし、私が意見を聞いたネイティブはis she not?でも良いと述べていたのでKlima testとしては使えないかもしれません)

 

(3) not even test 
He returned swift and silent out of the shadow and stood close to the helm, eyes level with Ben's; no taller than Ben. Not even as tall, perhaps.
これは本当にevenテストを通るのか怪しいですが・・・

 

以下は文体が晦渋なことで知られる作家M.P.シールの作品なので、個人の文体かもしれませんが、通常文否定(またはVP否定)で生じると言われる否定辞前置による倒置を起こしています。

That the whole world should have been made for me alone—that London should have been built only in order that I might enjoy the vast heroic spectacle of its burning—that all history, and all civilisation should have existed only in order to accumulate for my pleasures its inventions and facilities, its stores of purple and wine, of spices and gold—no more extraordinary does it all seem to me than to some little unreflecting Duke of my former days seemed the possessing of lands which his remote forefathers seized, and slew the occupiers: nor, in reality, is it even so extraordinary, I being alone.

Purple Cloud M. P. Shiel

既にイディオム化しているかもしれませんが、no soonerの前置でも倒置が起こります。

No sooner had he sat down than the phone rang. (LDOCE)

 

文否定のテストに合うような例文が豊富にあるわけではないので、文否定と言い切ることはできないと思いますし、否定のスコープが2重になっているというのも考えにくいのですが、Jackendoff testひとつ取ってみても"no"の否定のスコープがmore Xだけにしかかからないのか、というのは謎が残ります。

 

 *先行研究との重複について

主張①の発想は当然平沢論文(「クジラ構文」はなぜ英語話者にとって自然に響くのか 平沢慎也(2014))を含むほとんどの先行研究と重複しています。

特に 程度の差を"some"と表記するのは"Negating Comparative Quantifiers" Chris Collins (2016)に習っています。

主張③はクジラの公式の謎を解く 本田啓(2017)と発想が重複しています。

主張④は平沢(2014)や本多(2017)と当然重複していますが、極端な例との比較という発想については、いわゆるクジラ構文を語用論の観点から分析した論文として“How Much is a Whale NOT a Fish,. Literally?" Kazuma Kitamura (2014)が出色です。この論文の発想は過去の記事で紹介した"about as reasonable as"のレトリカルな用法の説明にも応用することができます。

 

私が"no more ... than"構文の複数の意味について知ったのは北村一真先生の(@kazuma_kitamura)のツイートや柏野 健次先生の「「クジラの公式」とは何だったのか」でした。柏野先生の論文はパターンを網羅しており、大変勉強になりましたが、メカニズムの説明が不十分でした。柏野論文をキッカケに私もこの構文に興味を持ち、自ら主張①〜③の「引き下げ法」までのロジックを考案しましたが、本田(2017)を紹介され、既に平沢(2014)などで既に類似の説明されていることを知りました。

また、思考力をみがく英文精読講義 薬袋善郎(2002)では既にかなり正確な形で解説がされています。思考力をみがく英文精読講義 薬袋善郎(2020)でも簡潔に要約されています。

先行研究の中では平沢論文が最初に、明確な形で"no more ... than"構文のロジックを言語化できていると考えていましたが、実は薬袋先生の方がより先に学習文法の視点からメカニズムに迫っています。

私が上記2冊の英文精読講義の該当箇所を読んだのは平沢(2014)や本田(2017)よりもさらに後ですが、薬袋先生やミントン先生も"no more ... than"構文について先行研究が少ない中かなり深く迫っていたということになります。

 

ではなぜ本記事を著したかというと、当たり前のことのようですが"A is no more X than B"構文で否定されているのは本記事で言うところの「(A>B)の正の差」だということを明示した解説が見当たらなかったからです。また主張⑤で紹介した現象についても紹介している文献はほとんどなく、「なぜ"no more ... than"が"not more ... than"と同様に『≦』という関係を表すことがあるのか」か、そして同時になぜ「両者の意味・用法に違いが生まれるのか」を統一的かつ明確に説明した文献は皆無だったからです。

 

tmneverdies.hatenablog.com

主張⑤は管見の限り先行研究はありません。

"A is no more X than B"構文が少なくとも潜在的には"≦"を表す構文だという主張は、平沢(2014)にはない(少なくとも説明されていない)と思います。

これは、平沢(2014)がこの構文の意味を「結果の覆し」と「差がゼロ」という出発点(more X than)と結果(no more X than)の関係で説明しているからではないでしょうか。

 

私は、比較級や差分スロットに来る表現が表す差は「正の」差であり、"no 比較級"のnoが否定しているのはその「正の」差だと説明しています。

 

この「正の差」が「AがBよりもXである」という期待を生み、「noがその(正の)差を否定する」ことで「AがBよりもXであることはない(「上回っているという(=正の)」差はゼロ)」であるということから、結果的に差がゼロになることを示しており、「期待」が否定されることになります。したがって、単に「AがBを上回っている」ことを否定して「AはB以下」だという"A is not more X than B"と異なり、「A>Bだと予想するかもしれないが、実際はA=Bである」という意味合いを持つことが多いということになります。

平沢(2014)は、"A is no more X than B"という構文は、「"A is more X than B"という『期待』を、『AとBの差がゼロ』だと結果を覆すことで独特の意味合いが生まれることを説明しています。つまり、単純化すると「A>Bだと思っていたら、実際はA=Bだった」ということになります。「期待」と「結果の覆し」という説明は正しいですが、これはあくまでも「noが『正の差』を否定する」というところから結果的に生じたものに過ぎません。そのため、「"A is no more X than B"が潜在的にA≦Bを表す」(主張⑤)という現象のメカニズムを捉えきれていないのではないかと思います。

また、平沢(2014)の説明を敷衍すると、"A is less/no less X than B"のnoはあくまでも差がゼロであることを指している(A=B)ことになり、"A is no more X than B"との違いはあくまでも「A<B(A is less X than B)という予想が裏返される」か「A>B(A is  more X than B)という予想が裏返される」かにという心理的な要因によって説明することになります。

私の解説では、「A is less X than B」は「(AがBより上回っている程度に)マイナスの差があること」を表しており、「A is more X than Bは「(AがBより上回っている程度に)プラスのの差」があることを表していると説明しています。そしてnoが「マイナスの差を否定する(no less X)」か「プラスの差を否定する(no more X)」かによって意味の違いが生まれることが文法的に説明できます。

 

主張⑥はCollins (2016)に負うています。

主張⑦の現象自体は辞書にも記載があり、平沢(2014)でも注2で言及されているものの、"A is no more X than B is"という構文との関係でメカニズムを解説したものはないのではないかと思います。

主張⑩の先行研究はありません。