英文解剖学

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京都大学英語 2023 実は割れていた予備校の解答 

京都大学の下線部和訳問題には学生以外の英語学習者から見ても勉強になるものがあります。

 

当ブログでも一般の英語学習者にとって役立ちそうな項目を解説してきましたが、今年の問題は、文法的にはいわゆる高校英語の範囲内であり、意味的にも複雑でばないため、特に解説する点もないと思われました。

 

ところが、解答速報を見ると私の解釈とは異なる部分が散見されました。

幸い駿台河合塾の解答速報が好対照をなしていたため、これらを題材にして解説します。

 

今回取り上げるのは以下の3つの英文です。まずは実際の出題文全文を読み、自分で解釈してください。

 

The more "stuff" we have to think about and focus on, the less time we are able to devote to each particular thing. 

 

Not only do philosophers have no agreed-upon definition of consciousness, some think that it can't be defined at all, that you can understand conscious experiences only by having them. Such philosophers see consciousness as Lois Armstrong purportedly saw jazz: if you need to ask what it is, you're never going to know.

 

The claim that to be conscious is for there to be 'something it is like to be you' can be described in terms of having a 'point of view, or 'perspective'.

 

 

(追記 2022年3月2日 大問1 の問2の英文も言及しました。)

As in the number of different issues that form our collective public discourse continues to increase, the amount of time and attention we are able to devote to each one inevitably gets compressed. It isn't that our total engagement with all this information is any less,  but rather that as the information competing for our attention becomes denser our attention gets spread more thinly, with the result that public debate becomes increasingly fragmented and superficial. 

 

 

◼️大問1

出典はJim Al-KhaliliのThe joy of scienceです。

 

現代社会では情報やトピックが多くなり過ぎており、我々が以前と同じような質で全ての情報をカバーできなくなっているという内容です。

 

問1の一部のみ引用します。

The more "stuff" we have to think about and focus on, the less time we are able to devote to each particular thing.

 

 

インターネットのおかげで、限られた時間の中で何に注意を払い、何に時間を費やすべきかを常に選択しなければならなくなった。現代では処理しきれないほどの情報を入手できるようになったため、情報に対して注意を割く時間が短くなっているという趣旨の文脈です。

 

駿台の解答速報は「私たちが考え、集中すべき「もの」が多くなればなるほど」としています。河合塾の解答速報は「私たちが考え、注目する「物事」が増えれば増えるほど」としています。

 

微妙な訳の違いは、"The more stuff we have to think about and focus on"の構造の解釈に起因するかもしれません。

 

駿台はThe more stuff we have to think about and focus on φ" (φは関係節の中でstuffが占めるはずの空所)と解釈しているのでしょう。

 

河合塾は"The more stuff we have φ to think about and focus on"を"The more stuff we have to think φ about and focus on"と解釈しているようです。

 

後述する様に駿台の場合はどちらの解釈の可能性もありますが、少なくとも河合塾の解答は「すべき」にあたる日本語がないことから、「見せかけのhave to」と解釈したのでしょう。

 

「見せかけのhave to」

"The cia tortured this man. Americans should hear what he has to say."

The CIA tortured this man. Americans should hear what he has to say. | The Week

 

 

ここでは"have to"「〜しなければならない」「〜のはずだ」という準助動詞ではなく、一般動詞のhaveが使われています。

つまり、whatはsayの目的語ではなくhaveの目的語であり、"he has something to say"「彼には言い分がある」のsomethingが関係詞のwhatに代わったということです。

 

関係詞の後にくる"have to do"は「見せかけのhave to」であることが多いので、注意が必要です。

 

では、今回の問題ではどうでしょうか。構造的に曖昧ですが、"choose what to pay attention to"などの文脈から情報の洪水を前に、「何を考え、集中すべきか」という解釈の方が適切ではないでしょうか。

 

つまり、"have to"は「見せかけのhave to」ではなく、準助動詞の"have to"と解釈すべきだと思われます。

河合塾は直前の"most of us today have instant access to far more information"に引っ張られ、"the more stuff we have φ"の方が適切だと考えたのでしょう。

仮に「見せかけのhave to」と解釈したとしても、名詞にかかる目的のto不定詞は「すべき」という意味合いを持つことも多いので、文脈的に「すべき」を入れた方が良いと思います。この点、駿台が「見せかけのhave to」と解釈した可能性は否定はできませんが、いずれにしても河合塾より適切な解釈だと思います。

 

構造が曖昧であるためこの説明で納得しない方もいるかもしれませんが、実は著者もこの部分を"hæf.tə"と発音していることを付け加えておきます。

 

◼️大問2

Very short introductionシリーズのPhilosophy of Mindからの引用です。

 

Not only do philosophers have no agreed-upon definition of consciousness, some think that it can't be defined at all, that you can understand conscious experiences only by having conscious experiences. Such philosophers see consciousness  as Lois Armstrong purportedly saw jazz: if you need to ask what it is, you're never going to know.

 

「意識」とはどういうものであるかをわかっていると主張する人はいますが、言語化して定義するのは難しいという内容です。

著者はルイ・アームストロングの発言とされるものを引用し、「意識とはどういうものかがわからない人」に対して説明するのは難しいと述べています。

 

駿台の解答は

それが何であるかを問わなければならなくなると、まったくわからなくなる、というわけである。

 

河合塾の解答は

それが何なのか尋ねる必要があるならば、その人には決してわかることはないのである。

 

微妙な違いがわかるでしょうか。

駿台の和訳「問わなければならなくなると、わからなくなる」を素直に解釈すると、「問わなければならない状況になると分からなくなる」だと思われます。

 

もともと「ジャズとは何なのかわからない人」にとっては問おうが問うまいがわからないことには変わりありません。従って、この和訳に意味があるとすれば(アームストロングのような)Jazzを体得しているような人ですら、言語化する必要に迫られると、うまく言語化出来ないということだと思われます。

 

河合塾の解釈は、「ジャズとは『何なのかを尋ねねる必要がある』人」は「決してわかることはないだろう」ということだと思われます。

言い換えると、ジャズは言語化して定義することが難しいので、ジャズとは何かをわかっていない人は、(例えば説明によって)理解することは難しいだろうということです。

 

こちらの解釈の方が「意識は定義できない」だけでなく、「意識はわからない人にはわからないし、言葉で説明してわからせるのも難しい」という考え方を紹介している文脈にも合致すると思われます。

 

問3

The claim that to be conscious is for there to be 'something it is like to be you' can be described in terms of having a 'point of view, or 'perspective'.

 

Thomas NagelのWhat it is like to be a bat?を彷彿とさせるフレーズが出てきます。

 

駿台

意識があるということは「自分が自分であるという何らかの感じ」が存在するということ

河合塾

意識を持つということは「あなたであるというのはこういうことであるという何物か」があること

 

どちらも大差ないですが、このyouは一般の人を表すgeneric youなので、駿台のように訳すべきだと思います。

 

The generic you is primarily a colloquial substitute for one.[1][2] For instance,

"Brushing one's teeth is healthy"

can be expressed less formally as

"Brushing your teeth is healthy."

Generic you - Wikipedia

 

駿台予備校の解答速報(2023年2月27日 8時取得)

https://www2.sundai.ac.jp/sokuhou/2023/kyd1_eig_1.pdf

河合塾の解答速報(2023年2月27日 8時取得)

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/23/k01-11a.pdf

 

 

(追記: 2023年3月2日)

代ゼミも解答速報を公開しました。

3大予備校の中では上で指摘したポイントを全てクリアしています。

一点だけ細かい点ですが注意しておきます。

引用文の前の部分も重要なので、先に問題文か原書を確認してください。

 

◼️大問1  問2

As in the number of different issues that form our collective public discourse continues to increase, the amount of time and attention we are able to devote to each one inevitably gets compressed. It isn't that our total engagement with all this information is any less but rather that as the information competing for our attention becomes denser our attention gets spread more thinly with the result that public debate becomes increasingly fragmented and superficial. 

 

大問1の解説で紹介した部分の後には、注意力の続く時間(attention span)が短くなったのはソーシャルメディアが唯一の理由ではなく、20世紀初頭に世界が繋がり、増加し続ける情報を私たちが入手できるようになったことを挙げています。

 


続いて大問2の段落です。現代では、24時間のニュース速報や、大量の情報に晒されるようになったとされています。

引用文の前半部分では、社会で議論される話題が増えるにつれ、私たちがそれぞれの話題にさける時間と注意は「圧縮」されるとされています。

そして下線部につながります。

 

◼️engagement with


engagement withとはどういう意味でしょうか。

いわゆる抽象名詞からなる表現は対応する動詞に書き換えてみると分かりやすくなることがあります。

"engage with"の定義について、Macmillan DictionaryとMerriam-webster Dictionaryを引用するとそれぞれ

 

(engage with someone/something) to make an effort to understand and deal with someone or something

She is accused of failing to engage with the problems of her staff.

https://www.macmillandictionary.com/dictionary/british/engage-with

 

: to give attention to something : DEAL

failing to engage with the problem

https://www.merriam-webster.com/dictionary/engage

 

Britannica Dictionaryを見ると

engage with (someone or something) formal
: to give serious attention to (someone or something)
The book fails to engage with the problems of our time.

: to become involved with (someone or something)
a teacher who will not engage with the students

https://www.britannica.com/dictionary/engage

 

とより詳しく記載されています。

 

何かを理解するため、関わり合いになることが基本語義ですが、対象によって具体的な内容は変わります。注意を向けることを指すこともあれば触れ合うことを指すこともあり、問題解決のために行動することを含むこともあります。

engagement with informationは「情報に対して注意を向け、時間を費やすこと」、具体的には「情報について調べたり、考えたり、議論すること」を表します。


ここまで説明すると、直前の文に出てきた、"the amount of time and attention we (are able to) devote to"の言い換え表現になっていることがわかるでしょう。

"our total engagement with all this information"の意味は「私たちが公共的な議論に関わるこれら全ての情報に対して注意を向けること(また、それにかかる時間)の全体」だと私は理解しました。

 

◼️推論構文

 

"It isn't just that our total engagement with all this information is any less"の部分が少し難しいので少し詳しく説明しておきます。

まず、It isn't just ... but (rather) that ...はDeclerckがinferential it-that constructionと呼んだものです。

https://www.researchgate.net/publication/222938267_The_inferential_it_is_that-construction_and_its_congeners

日本語で読めるものでは大竹芳夫「解釈・実情を伝える構文 : It is that 節構文の意味特性と使用条件」に詳しいので一読ください。

解釈・実情を伝える構文 : It is that 節構文の意味特性と使用条件 | 新潟大学附属図書館 OPAC


最もシンプルな"It is that ..."構文の基本的意味は以下の通りです。

 

「先行する情報が話し手の知識の蓄積にすでに取り込まれていることを主語代名詞itで合図したうえで, その情報を同定することである。そのため,話し手が聞き手の誤解を解いて実情を披瀝するような談話で頻用される」(上記大竹論文)

 

I can't eat the chicken.  It's not that I can't eat, it's just that I've got a piece of gum in my mouth and I don't know what to do with it. (The Guardian, Sep 2 2002)

 

上記大竹論文によると、I can't eat the chicken.という先行する情報に対して、聞き手が曖昧に解釈したり、誤解する可能性を予測して、「話し手が鶏肉を食べ物として日常的に好まない(=I can't eat it)」という解釈をIt is that節構文で打ち消しています。


今回のようにjustが使用される場合、「聞き手にその情報を押しつけている,あるいは聞き手の無知をあげつらっているという含意を積極的に回避しようとする話し手の気持ちの表れ」であるということです。

つまり、"It isn't just X but that Y. "は、「Xだと思われるかも知れないが、正確にいうとそうではなくて、Yである。」という意味合いがある表現です。

not ... any lessは「"our total engagement with all this"が減っているどころか、全く減っていないという意味あいです。

「現在でも過去と同じくらいのengagementがある」という意味合いです。

 

◼️not ... any less

It isn't just that 節では、過去記事で紹介した「no/not any 比較級」の原則に従い、"our total engagement ... is less"という「予想」がnot any (=no)によって覆され、"out total engagement is as much"という意味になります。

これが"It isn't just X but (rather) that Y"構文のXという誤解を「予想」して覆すという機能と共鳴していることに注目してください。

tmneverdies.hatenablog.com

 

◼️何が否定されているのか


問題文に話を戻します。"not any"が覆す想定、"It's not just that X (but rather that Y)"構文が否定する誤解とはなんでしょうか。

 

前文の"the amount of time and attention we are able to devote to each one inevitably gets compressed"と、下線部の"our total engagement with all this information is any less"はほぼ似た内容ですが、「個々の話題に注意や時間を向けること」と「情報全体に向けること」という違いがあります。

前文の内容から、「個々の話題に注意を向けることやその時間が減ったのであれば、その合計である情報全体に向ける注意や時間も減っているのではないか。」と想定できます。情報全体に対して注意や時間をかけることが減れば、私たちの"average attention span"は昔と比べ短くなっているという前の段落の内容ともつながります。

 

この想定が、下線部で「情報全体に対して向ける注意や時間の総計は昔と比べて減っていない」と覆されています。

 

◼️まとめ

上記の内容をまとめると、以下のようになります。

 

我々の手に入る情報が溢れた上に、公共の言説を形作る話題があまりにも多くなったため、我々が個々の話題に割く注意と時間は圧縮されてしまった。

 

(個々の話題に向ける注意や時間が減ったからといって、)我々がこれらの情報すべてに向ける注意や時間の総計が少しでも減ったかといえばそんなことはまったくない。

 

むしろ、我々の注目を求めて競合する情報の密度が高まってゆくのにつれて、我々の(さまざまな情報や話題に対する)注意はますます薄く広がってしまい、結果として公共の議論がいよいよ断片化した、表面的なものになってしまう。

 

◼️各予備校の解答
各予備校の解答です。

駿台は「こうした情報全てに対する私たちの取り組みの総量が少しでも減っているわけではなく」

河合塾は「こうした情報すべてに対する私たちの関わり全体がいささかでも減っているわけではなく」

代ゼミは「このような大量の情報に対する私たちの総体的な関わり具合が少しでも弱まるわけではなく」

https://sokuho.yozemi.ac.jp/sokuho/k_mondaitokaitou/2/kaitou/kaitou/1359776_5346.html

(2023年3月2日 7時取得)

 

どれも大差ないですが、代ゼミの解答にある「関わり具合が少しでも弱まる」というのは「情報全体に対してむけている注意や時間」あるいは「情報に関わっている時間」が減るという私の解釈とは距離があるように思われます。

 

どの解釈が適切かどうかについては読者に判断を委ねます。